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信州の静かな里山 長野県 鹿教湯温泉 斎藤ホテル

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  • 斎藤ホテルの変わらない根っこ ~もんじゅ・かしわば・おもてなし~

    2024/05/01

    多くの会社には経営の根っことして経理理念が存在しています。

     

    約30年前、私が26歳で斎藤ホテルに入社した年に、400年前に遡る地域とともに歩んだ旅館の歴史や、創業した当時に思いを馳せながら理念を言葉にしました。

     

    「もんじゅ、かしわば、おもてなし」。この呪文のようなひらがなの単純な3つの言葉が、斎藤ホテルの経営理念です。

     

     

    “もんじゅ”

    「もんじゅ」は文殊堂の「文殊」からきています。文殊堂は内村川の渓谷を挟んで斎藤ホテルの対岸の森に鎮座しています。県宝にも指定されているお堂は、地域経済の繁栄を願って元禄時代に村人がお金を出し合って建立したものだと聞いています。

     

    今の時代に同じ建物をつくるならば、おそらく数億円の費用がかかるだろう一大工事。小さな村でどうやってその費用を工面したのか興味があるところです。元禄時代はちょうど日本の人口が増加し、平成のバブル期のように景気が良い時期があったのかもしれません。

     

    いずれにしても村人がお金を出し合って建立し、時代の移り変わりを乗り切って地域の宝物として営々と営みを継続してきたお堂には間違いなく、私のご先祖も少なからず費用を出したに違いありません。

     

    当社の経営理念の「もんじゅ」は、文殊堂を村人たちの手で建立し、維持してきた歴史を表現しています。文殊堂を大切にしてきたそれぞれの時代の地域住民の団結や、地域への想いは、地域に貢献し、地域とともに歩んでいこうという気持ちが根底にあります。その気概を弊社も引き継いでいきたいという意志が込められています。

     

    また、祀られている文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように「知恵」をつかさどる菩薩様です。お客様に喜んでいただくためには「知恵」が必要です。よい知恵を得るには良い知識が必要で、知識を得るには常に勉強をしていなくてはいけません。

     

    社員が常に学び、最新の情報を入手し、考え、そして得た知識や知見を仲間と共有し、話し合い、「知恵」に昇華して、お客様が満足してよろこんでくださる具体的なサービスにつなげていく――その営みを大切にしたいという思いを表現しています。

     

     

    “かしわば”

    400年以上前の昔から旅館を営んできた斎藤家の家紋は「ちがいかしわ」。かしわの木は常緑樹で、つねに葉が茂っているように見えます。しかし、ひとつの葉がずっと緑でいるわけでなく、古くなるといつの間にか新しい葉に入れ替わり、常に新陳代謝を繰り返します。

     

    「かしわば」は、代々歴史をつないでいくなかで、常にその時代に合った新しいものを取り入れ、変化を重ねながらも永続していく企業を表現しています。

     

    変化を恐れず、新しいことにチャレンジする一方で、代々受け継いできた根幹の部分は変えることなく、しっかりと根を張る。そういう企業でありたいという願いが込められています。

     

     

     

    “おもてなし”

    斎藤ホテルの「おもてなし」のコンセプトは、「一客再来」です。一度訪れていただいたお客様が何度も訪れたくなるような接客を目指しています。
    繰り返し斎藤ホテルを訪れて滞在していただくことで、お客様の健康づくりのお手伝いをさせていただきたいと考えているからです。

     

    また、リハビリを目的とした身体の不自由な方も多くいらっしゃいます。「見守り」「寄り添い」「共感」も日々私たちが心掛けているおもてなしです。杖を突いた方や車いすの方の不安を想像して共感し、お困りのことがないか常に見守り、必要であれば寄り添ってお手伝いをさせていただくよう心掛けています。

     

    「もんじゅ、かしわば、おもてなし」
    この理念を全社員で共有して、企業の文化として定着させるよう日々努めています。単純な言葉ですが徹底するのはやはり至難の業だと、日々感じています。

    少しでも理念に近づき、より良いホテルになれるよう、これからも皆で努力していきます。

  • 鹿教湯温泉の原点「中気坂(湯坂)」のいわれ

    2024/04/12

    江戸時代から有名だった鹿教湯温泉

    斎藤ホテルから文殊堂へ向かう途中、少し傾斜の強い「湯坂」を通ります。山間地の温泉地ならどこでもあるような何気ない坂なのですが、実は、この坂が鹿教湯温泉の歴史の成り立ちに大きく影響していると伝えられています。

     

    鹿教湯温泉は、脳卒中や脳梗塞後の機能回復に効果があると、江戸時代から有名でした。鹿教湯へ来るときは杖をついてきても、帰るころには杖を忘れて帰る人が多くいたと伝えられています。

     

    江戸時代から大正の初期ごろまで、鹿教湯温泉の旅館は7軒のみで、「湯端通り」とよばれる文殊堂・薬師堂へ向かう参道に沿って立ちならんでいました。この一帯は現在に至るまで鹿教湯の中心街となっています。

     

    励まし合う湯治客の姿

    当時、各旅館内に温泉がなかったため、入浴をするには200メートルほどの急な坂をくだり、そこにある共同浴場を利用するしかありませんでした。

     

    朝夕の入浴時間には多くの湯治客がお互いに励ましあいながら、杖をつき、あえぎあえぎこの坂を上る姿が見られました。中には歩くこともままならず、這うようにして坂を登る湯治客もいたそうです。どんなに身体の悪い人でもこの坂を通らないと共同浴場へ行けないため、朝夕の入浴時間のラッシュは壮観であったと伝えられています。

     

    そのためこの坂は、戦前、帝国陸軍西大将により「中気坂」(現在は湯坂)と名付けられました。当時、脳血管疾患で身体が不自由になった状態が「中気」と呼ばれていたことに由来しています。

     

    現在のようなリハビリテーションの施設がなかった当時、坂を登り降りすることが脳卒中などで倒れた患者の機能回復の訓練に自然となっただろうし、坂を無事に登れたということが療養患者の健康に対する自信にもつながり、回復の励みとなったことと想像できます。

     

    温泉と坂道のリハビリが回復の秘訣?

    現在こそ病院での施設も整い、機能回復のための適切な訓練もされていますが、リハビリテーションの技術が発達していなかった当時、なかば強制的な坂の登り降りは自然のもたらしたリハビリテーションともいえます。鹿教湯の湯は脳卒中に効くと全国に名高かった秘密は、その泉質はもとより、坂道によるリハビリテーションによる効果だったと推察されます。

     

    この坂道によるリハビリテーションは、1956年(昭和31年)に温泉掘削に成功して大量のお湯が噴出し、各旅館の中に温泉浴槽ができるまで続きました。

     

  • 【重要】予約システム変更のお知らせとパスワード再設定のお願い

    2024/03/17

    斎藤ホテル公式サイトの予約システムを変更いたします

    【変更日】2024年4月1日(月)

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    2024年4月1日以前に、旧予約システムにて2024年4月1日(月)以降のご予約を頂いているお客様へ
    ————————————————————————————————————————-

    ※ご宿泊予約はそのまま有効となります。
    ご予約およびご変更時にお送りしたメールに記載された内容にてご宿泊いただけます。
    ※旧予約システムでご登録いただいた予約内容を
    「確認、変更、キャンセル」する場合はこちらからお手続きをお願いいたします。
    【旧予約システム】ログインは登録時のパスワード
    https://reserve.489ban.net/client/saitou/0/booked/login

    なお、新しい予約システムでは、旧予約システムでご登録いただいた
    ご予約の確認および各種変更対応を行うことはできません。

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    新予約システム会員登録情報について
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    ※旧予約システムにてご登録いただいていた会員情報を、
    新しい予約システムへ引き継ぎをさせていただきました。
    弊社公式ホームページ会員のお客様には大変お手数ではございますが、
    あらためて新しい予約システムの会員パスワードの再登録をお願い申し上げます。

    【パスワード再設定方法】
    下記URLよりパスワードの再設定をお願いいたします。
    パスワードはお客様任意の英数字となります。
    (英大文字・英小文字・数字それぞれを最低1文字ずつ含み、8文字以上で設定する必要があります)
    パスワード再設定>>>こちら
    ※お手続き後の確認ページはこちら

    また、新しい予約システムへ新規に会員登録もご利用いただけます。

    今後とも、斎藤ホテル公式サイトをよろしくお願いいたします。

    斎藤ホテルから見た鹿教湯温泉

    【鹿教湯温泉 斎藤ホテル】公式HPはこちらから
    https://www.saito-hotel.co.jp/

     

  • 【新レストラン連載コラム⑩】建築素材も信州産

    2024/02/11

     

    「Restaurant渓」にまつわるコラム、第10回目は建物に使った木材について、お話しします。

     

    建築木材も地産地消で

    信州素材にこだわった「Restaurant渓」では、その骨格となる建築木材にも地産地消として信州産カラマツの集成材を使っています。

     

    カラマツは信州を代表する木材で戦後に多く植林され、春は鮮烈な緑、秋には黄色に彩られ、鹿教湯の里山を彩る木となっています。

     

    Restaurant渓に座って天井をみると、屋根の勾配にそって赤茶色の建築木材がむき出しになって平行に並んでいます。あえてむき出しにすることで、空間デザインの重要な要素となりました。

     

    木材の地産地消のメリットは、まず運搬距離が短いことが挙げられます。木材の運搬にはトラックが不可欠なので、移動距離が短いほどトラックの燃料も排気ガスも少なくて済みます。

     

    そして一番重要なのは、温室効果ガスである二酸化炭素を木に留めたまま地域の中で循環させられる点です。木は二酸化炭素を固定する役割があります。地域の中で木材として使うことで、二酸化炭素を大気中に放出させずに活用できるというわけです。

     

     

    今も昔も山林の管理は重要な仕事

    このあたりの山林の多くは、もともとは天領でした。明治時代以降は「財産区」とよばれる法人格を有した地域団体を通じて管理されていて、この地域にも「西内財産区」とよばれる山林を管理する団体があります。現在は12~3人で、チェーンソーで細い雑木を切るといった手入れを自ら行い、カラマツ林を管理しています。

     

    私は2023年から2年間、その管理長という立場をいただいて、代々うけついできた山林を管理するメンバーのひとりとして活動しています。管理する山林の所在や状況を把握するために、年に数回、「山見」といわれる仕事で山を登りながら先輩に「どこに何が植わっているのか」をはじめ、いろいろなことを教えてもらっています。

     

    石油が入ってくるまでの長い時代、日本は木に頼る暮らしをしていました。建材や道具はもちろん、一番需要が大きかったのは燃料です。伐り過ぎて山に木がなくなるほどだったので、山林の管理はとても重要な仕事だったのです。

     

     

    見直される国産材

    現在、日本で建築用として使われている木材の約半分は安価な外国産です。以前であれば、切り出しても単価が安く経費に見合わなかったものが、このところの円安等や木材価格の値上がりによって、収益が見込まれる事業となってきています。

     

    鹿教湯財産区に植えられている木のほとんどは30~50年ほど前に植林されたカラマツで、その一部を森林組合に依頼して切り出してもらい、木材として販売して次の世代のために新たに植林するという事業をしているところです。

     

    切り出されたカラマツの多くは集成材として加工されて、建築用の資材となります。カラマツ集成材で日本トップクラスのメーカーである「斎藤木材工業」さんがこの地域にあります。(偶然におなじ斎藤ですが、縁戚関係はありません)

    斎藤木材工業

    今回Restaurant渓で使用した構造材は、この斎藤木材工業さんが信州産カラマツから作った「信州唐松丸」という集成材を使用しています。もしかしたら、鹿教湯のカラマツも入っているかもしれません。

     

    二酸化炭素を削減し環境負荷を最小限にするという意味でも、地元の木材を使うことは理に適っていて、今後も可能なかぎり地元産の木材の利用を心がけたいと思います。

  • 【新レストラン連載コラム⑨】器のこと~立川玄八さんについて

    2024/01/30

     

    連載第9回目は、「Restaurant渓」の料理を盛り込む「器」についてお話します。

     

    新レストラン開業を進めていく中で、「『信州のおもてなし』コンセプトにレストランをオープンするにあたって、食材を信州産にこだわるなら、器にも信州産を使いたい」という話が出てきました。この話をきっかけに、作家を探していくことになりました。そして出会ったのが、2人の作家さんと1組の作家さんでした。

     

    出会いはクラフトマーケット

    まずご紹介したいのは、諏訪に工房を構える立川玄八さんです。

     

    立川玄八さんの白いリム付フラットプレートは、シンプルな佇まいでありながら、強い存在感を放ちます。今回レストランで使用しているのは灰釉の淡い風合いと、立たせた縁のシャープさのバランスが美しい丸皿です。

     

    立川さんの作品との出会いはクラフトフェアのマーケットでした。数あるお皿のなかから立川さんの作品が目に留まり、名刺を頂くと諏訪に工房を構えていらっしゃるとのこと。そこでRestaurant溪のシェフである斎藤と責任者の岡崎、企画広報の西澤で工房を訪ねることとなりました。

     

    車でおよそ1時間と少し。メイン通りを少し入った、古民家を改装したカフェや神社、蔵などが並ぶ場所に立川さんの工房「石の如く」がありました。
    中に入ると歴史を感じる日本家屋で、土間があります。和室には完成した作品がずらりと並んでいました。

     

    この頃はまだメニューの開発中だったので、お料理のイメージを膨らませながら、お皿を選んでいきました。その中でも目を引いたのが、リムのついた白いお皿でした。

     

    様々な大きさ、リムの高さ、裏の足のつき方など参考にしながらこちらのイメージを伝え、
    今の「直径28センチ・足なし」の白色リム皿の制作をお願いしました。

     

    想像をはるかに上回る難しさ

    実は最初にお皿の相談をした時から「とても難しい」と、Restaurant溪の座席数にあった量を用意できるか心配されていました。

     

    焼き物をよく知らない人間からすると「そうはいっても大丈夫なんじゃないか」と思っていたのですが、想像はるかに上回る難しさで、立川さんもレストラン責任者の岡崎も完成を半ば諦めかけるほどでした。

     

    『直径28センチ、裏に足をつけず、リムを立たせて焼く』

     

    文字にすると簡単ですが、釉薬のガラス質と土の部分では窯の中での接地面で温度の違いが起こるため、とても割れやすく、実際に「焼いてみたところ割れてしまった」とのご連絡が二度ほどあり、困難を極めておりました。

     

    もう間に合わない、無理かもしれないと思っていたところ、オープン3日前に立川さんに納品いただいた時の感動は、今でも忘れられない思い出です。

     

     

    シャープな造形と手仕事の痕跡

    完成したリム皿は少し灰色かかった乳白色で、ところどころにある濃い灰色の部分は釉薬を掛ける際に手で持つことによってできた指の跡です。「本来ならば跡は付けずに綺麗にするのでしょうが、あえて残し、どのように作ったかが追体験できるようなものが好きで」と立川さん。

     

    縁の角を立たせた緊張感のある造形と、偶然が生み出した模様のバランスが、手仕事ならではの味わいを生み出しています。

     

    どんなお料理にも合う器です。Restaurant渓で、ぜひ料理が盛りつけられた時の佇まいも楽しんでください。

    (文:企画担当 西澤 佑奈)

     

     

    →Vol.10は2/9公開予定です。お楽しみに!