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信州の静かな里山 長野県 鹿教湯温泉 斎藤ホテル

お知らせ

鹿教湯温泉の原点「中気坂(湯坂)」のいわれ

2024/04/12

江戸時代から有名だった鹿教湯温泉

斎藤ホテルから文殊堂へ向かう途中、少し傾斜の強い「湯坂」を通ります。山間地の温泉地ならどこでもあるような何気ない坂なのですが、実は、この坂が鹿教湯温泉の歴史の成り立ちに大きく影響していると伝えられています。

 

鹿教湯温泉は、脳卒中や脳梗塞後の機能回復に効果があると、江戸時代から有名でした。鹿教湯へ来るときは杖をついてきても、帰るころには杖を忘れて帰る人が多くいたと伝えられています。

 

江戸時代から大正の初期ごろまで、鹿教湯温泉の旅館は7軒のみで、「湯端通り」とよばれる文殊堂・薬師堂へ向かう参道に沿って立ちならんでいました。この一帯は現在に至るまで鹿教湯の中心街となっています。

 

励まし合う湯治客の姿

当時、各旅館内に温泉がなかったため、入浴をするには200メートルほどの急な坂をくだり、そこにある共同浴場を利用するしかありませんでした。

 

朝夕の入浴時間には多くの湯治客がお互いに励ましあいながら、杖をつき、あえぎあえぎこの坂を上る姿が見られました。中には歩くこともままならず、這うようにして坂を登る湯治客もいたそうです。どんなに身体の悪い人でもこの坂を通らないと共同浴場へ行けないため、朝夕の入浴時間のラッシュは壮観であったと伝えられています。

 

そのためこの坂は、戦前、帝国陸軍西大将により「中気坂」(現在は湯坂)と名付けられました。当時、脳血管疾患で身体が不自由になった状態が「中気」と呼ばれていたことに由来しています。

 

現在のようなリハビリテーションの施設がなかった当時、坂を登り降りすることが脳卒中などで倒れた患者の機能回復の訓練に自然となっただろうし、坂を無事に登れたということが療養患者の健康に対する自信にもつながり、回復の励みとなったことと想像できます。

 

温泉と坂道のリハビリが回復の秘訣?

現在こそ病院での施設も整い、機能回復のための適切な訓練もされていますが、リハビリテーションの技術が発達していなかった当時、なかば強制的な坂の登り降りは自然のもたらしたリハビリテーションともいえます。鹿教湯の湯は脳卒中に効くと全国に名高かった秘密は、その泉質はもとより、坂道によるリハビリテーションによる効果だったと推察されます。

 

この坂道によるリハビリテーションは、1956年(昭和31年)に温泉掘削に成功して大量のお湯が噴出し、各旅館の中に温泉浴槽ができるまで続きました。