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信州の静かな里山 長野県 鹿教湯温泉 斎藤ホテル

お知らせ

斎藤コラム

  • 【新レストラン連載コラム⑫】20年越しの夢は続く~地元ワイナリーとのコラボレーション

    2024/07/01

    この7月11日・20日に、「シャトー・メルシャン 椀子(まりこ) ワイナリー」とのコラボレーション企画を予定しています。

     

    ワイナリーとのコラボレーション企画は、私が長年思い描いていた夢でした。1回目は2023年に小諸市のマンズワイン小諸ワイナリーとタッグを組み、おかげさまでお客様からたいへん好評をいただきました。2回目となる今回は、斎藤ホテルと同じ上田市内にあるシャトー・メルシャン 椀子 ワイナリーとのコラボレーションです。

     

    上田市に世界レベルのワイナリーができた

    2003年にメルシャン株式会社がこの地でワイン用ブトウを栽培しワインを醸造する計画を発表したときから、このワインと地元の食事を鹿教湯温泉で楽しんでいただくことができれば良いなあ、と妄想を膨らませていました。

     

    椀子ワイナリーは、国産高級ワインブランドとして1970年に誕生した「シャトー・メルシャン」3つ目のワイナリーです。ワイン用ブドウの適地として選定されたのは上田市丸子地区陣場台地。ワイナリーの名は丸子町の古代名を冠しています。

     

    2006年には、私も所属していた鹿教湯温泉の青年部がワイン用ブトウの収穫とランチ体験のツアーを企画したこともありました。数年間、秋の収穫シーズンには同様のツアーを開催してきましたが、人手や予算の問題で、2010年以降は休止となりました。

     

    その間も椀子ワイナリーは製造努力により品質を向上させ、2011年には世界のトップワイナリー20に名前があがるようになりました。また醸造されるワインも日本のコンクールで毎年のように受賞するなど、世界品質のワインを生産し続けています。

     

    また、この上田地域周辺では毎年のようにワイナリーができて、品質の高いワインを生産する一大産地に育っています。

     

    高級ワインに引けを取らない料理がほしい

    ワインのつくり手は努力と競争でしのぎを削り、日々努力をかさねているのに対して、それに見合う料理の提供は追いついているとは言えない状況が続いていました。ワイン産業の急激な立ち上がりに比して、料理文化の構築が追いついていなかったのです。

     

    生産されるワインは高品質なものが多いため、料理やしつらえもそれに負けないクオリティが求められます。料理界に詳しい先輩によると、レストランで料理とワインを楽しむとなると値段は半分半分。料理は1万円を超えます。この地域で、この値段でワインと合う料理を出すレストランは存在していませんでした。

     

    椀子ワイナリーができたときに、将来はそういったレストランが鹿教湯にあったらいいなと思っていましたが、1万円を超える料理の提供は雲を掴むような、私には関係ない世界の話だと思い込んでいました。当時は他に優先する課題があって、とてもそんなことを考えている余裕もなかったのです。

     

    ピンチをチャンスに変えて夢を実現

    その後も、斎藤ホテルとして独自に椀子ワイナリーの収穫体験ツアーなどを行い、細々と関係を維持してきました。

     

    転機は2020年に始まったコロナ禍でした。もちろん経営は大きな打撃を受けましたが、同時に将来を考え、計画を練る時間を与えてくれました。コロナはいつか収束する。今こそその時に向けての投資のチャンスだと、勇気を振り絞り「Restaurant溪」を開業しました。

     

    今回のツアーは、斎藤駕籠屋のバスを利用します。お客様を上田駅から椀子ワイナリーへお連れしてワイナリーとブドウ畑を見学していただき、それからRestaurant溪でお食事を楽しんでいただく流れです。

     

    椀子ワイナリーでは、ブドウ畑や製造工場を工場長自ら案内してくれます。気候の特徴や品種、栽培方法、醸造方法などのレクチャーは、ワインについて全く知識のない方でも楽しめる内容になっています。数種類のワインの試飲もご用意しています。その後バスで移動し、Restaurant溪にて今回のために特別に組んだコースを味わっていただくディナータイムへ。ペアリングされるのはもちろん椀子ワイナリーで生産されたワインです。

     

    地元の素材を使った“信州フレンチ”とワインを、地元の景色と現代のしつらえのなかで楽しむ。まさに自分が思い描いていた夢を、お客様に体験していただけるようになりました。

     

    20年の構想が実ったツアーですので、多くの方に参加していただければ幸いです。

     

    *イベント詳細のお問い合わせ、お申し込みはお電話にてお願いいたします。電話0268-44-2211(受付時間9:30~18:00)
    *定員に達した場合はご容赦ください。次の機会をお待ちいただけますようお願い申し上げます。

  • 【新レストラン連載コラム⑪】器のこと~第2回 坪内真弓さんについて

    2024/06/05

     

    「信州産の器を使いたい」という思いから出合った2人と1組の作家さん、2回目にご紹介するのは坪内真弓さんです。

     

    信州の鎌倉「別所温泉」にある工房


    鹿教湯温泉からほど近い「信州の鎌倉」ともいわれる別所温泉に工房を構え、陶芸教室なども行っている作家さんです。身近な作家さんでありながら、知ったきっかけはSNSで偶然目にした器でした。

     

    坪内さんとコンタクトをとり、お話をするために上田市保野(ほや)にある工房を訪ねました。
    市街地の見慣れた景色の中を進み、メインの通りを少し外れたところに坪内さんの工房はありました。

     

    広々とした工房内には製作中の作品や色見本等が並び、どこか学校の美術室を思い出させるようでした。窓からは田園風景と別所温泉の山々が見え、近くには小川も流れ、季節によって様々な野鳥が顔をのぞかせるのどかな風景が広がります。

     

    作品棚の一角にはクマやウサギ、鳥など動物をモチーフにした可愛いらしい作品がずらっと並びます。一つ一つ手書きされたモチーフは絵本の世界から出てきたような愛らしさです。

     

    こちらの作品はコロナ禍以降にECショップで商品を購入する人が増えたことに注目し、一目見て印象に残るかわいらしいものをと考え制作を始めたそうです。

     

    坪内さんは様々な作風を持つと同時に、器などのクラフトの他に陶芸による立体造形作品も制作・出展しています。器とはまた異なる力強い作品を拝見した時は、全く違った印象にとても驚かされました。

     

    最初にお会いした時はこちらもまだメニュー開発の最中だったため、「Restaurant溪」のコンセプトをお伝えしていきました。食材はもちろん建材や設えに至るまで信州産にこだわる「信州のおもてなし」という思いがあること、そして坪内さんの作品の中にイメージする物が今回のコンセプトに近いものがあることをお伝えしてきながら制作が始まりました。

     

    森や山を感じさせる、2種類のお皿


    器から造形作品まで幅広い作風を持つ坪内さんに、2種類のフラットプレートを制作していただきました。

     

    一つ目は独特な肌感と模様のある器です。信楽の赤土釉薬を塗り、さらにその上から溶かした白土を薬藁で作った刷毛で薄く塗っているお皿です。釉薬のかかり方によって赤味の強弱と光沢感が生まれ、白土でできた刷毛目によって木の年輪のような美しい模様が生まれます。まるで森の大木を思い起こさせる作品です。

     

    もう一枚は先ほどとはうって変わって、模様の無い、漆黒のお皿です。黒い土の上から黒い釉薬を掛けて焼くことで深い黒と艶のあるお皿に仕上がります。落ち着いた輝きの黒さは月明りに照らされた鹿教湯の森や山を連想させます。ライトに照らされると銀色に輝き、使っていくうちにしっとりとした肌感となっていきます。

    この漆黒のお皿は焼いたときにできる「ピンホール」と呼ばれる穴が目立つため、いかにこれを少なくしていくか、どの程度までをよしとするか非常に悩まれたそうです。結果として4回焼成を重ねてようやく満足のいく出来になったとお話してくれました。

     

    どちらのお皿も試行錯誤を繰り返し、約1年かけて完成しました。こちら要望を出した「底面がフラット」で「28センチの平皿」というのは、先にご紹介した立川さん同様に難しさを感じていたそうです。燥段階でゆがみやひび割れが生じてしまうため1cm単位で細かな調整を繰り返すことで完成に至ったとのことでした。

     

    お話の最後に陶芸の魅力についてお伺いしました。
    「陶芸は窯に入れしたあとは火にゆだねる。自分の手から離れたところで完結するのが面白い」
    そう語る坪内さん。
    デザイン性と偶然性から生まれる自然のエネルギーと地の食材が合わさった一皿から、信州の物語を感じて頂けたらと思います。

     

    *「器のこと ~第1回 立川玄八さんのこと」はこちらから

  • 斎藤ホテルの変わらない根っこ ~もんじゅ・かしわば・おもてなし~

    2024/05/01

    多くの会社には経営の根っことして経理理念が存在しています。

     

    約30年前、私が26歳で斎藤ホテルに入社した年に、400年前に遡る地域とともに歩んだ旅館の歴史や、創業した当時に思いを馳せながら理念を言葉にしました。

     

    「もんじゅ、かしわば、おもてなし」。この呪文のようなひらがなの単純な3つの言葉が、斎藤ホテルの経営理念です。

     

     

    “もんじゅ”

    「もんじゅ」は文殊堂の「文殊」からきています。文殊堂は内村川の渓谷を挟んで斎藤ホテルの対岸の森に鎮座しています。県宝にも指定されているお堂は、地域経済の繁栄を願って元禄時代に村人がお金を出し合って建立したものだと聞いています。

     

    今の時代に同じ建物をつくるならば、おそらく数億円の費用がかかるだろう一大工事。小さな村でどうやってその費用を工面したのか興味があるところです。元禄時代はちょうど日本の人口が増加し、平成のバブル期のように景気が良い時期があったのかもしれません。

     

    いずれにしても村人がお金を出し合って建立し、時代の移り変わりを乗り切って地域の宝物として営々と営みを継続してきたお堂には間違いなく、私のご先祖も少なからず費用を出したに違いありません。

     

    当社の経営理念の「もんじゅ」は、文殊堂を村人たちの手で建立し、維持してきた歴史を表現しています。文殊堂を大切にしてきたそれぞれの時代の地域住民の団結や、地域への想いは、地域に貢献し、地域とともに歩んでいこうという気持ちが根底にあります。その気概を弊社も引き継いでいきたいという意志が込められています。

     

    また、祀られている文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように「知恵」をつかさどる菩薩様です。お客様に喜んでいただくためには「知恵」が必要です。よい知恵を得るには良い知識が必要で、知識を得るには常に勉強をしていなくてはいけません。

     

    社員が常に学び、最新の情報を入手し、考え、そして得た知識や知見を仲間と共有し、話し合い、「知恵」に昇華して、お客様が満足してよろこんでくださる具体的なサービスにつなげていく――その営みを大切にしたいという思いを表現しています。

     

     

    “かしわば”

    400年以上前の昔から旅館を営んできた斎藤家の家紋は「ちがいかしわ」。かしわの木は常緑樹で、つねに葉が茂っているように見えます。しかし、ひとつの葉がずっと緑でいるわけでなく、古くなるといつの間にか新しい葉に入れ替わり、常に新陳代謝を繰り返します。

     

    「かしわば」は、代々歴史をつないでいくなかで、常にその時代に合った新しいものを取り入れ、変化を重ねながらも永続していく企業を表現しています。

     

    変化を恐れず、新しいことにチャレンジする一方で、代々受け継いできた根幹の部分は変えることなく、しっかりと根を張る。そういう企業でありたいという願いが込められています。

     

     

     

    “おもてなし”

    斎藤ホテルの「おもてなし」のコンセプトは、「一客再来」です。一度訪れていただいたお客様が何度も訪れたくなるような接客を目指しています。
    繰り返し斎藤ホテルを訪れて滞在していただくことで、お客様の健康づくりのお手伝いをさせていただきたいと考えているからです。

     

    また、リハビリを目的とした身体の不自由な方も多くいらっしゃいます。「見守り」「寄り添い」「共感」も日々私たちが心掛けているおもてなしです。杖を突いた方や車いすの方の不安を想像して共感し、お困りのことがないか常に見守り、必要であれば寄り添ってお手伝いをさせていただくよう心掛けています。

     

    「もんじゅ、かしわば、おもてなし」
    この理念を全社員で共有して、企業の文化として定着させるよう日々努めています。単純な言葉ですが徹底するのはやはり至難の業だと、日々感じています。

    少しでも理念に近づき、より良いホテルになれるよう、これからも皆で努力していきます。

  • 鹿教湯温泉の原点「中気坂(湯坂)」のいわれ

    2024/04/12

    江戸時代から有名だった鹿教湯温泉

    斎藤ホテルから文殊堂へ向かう途中、少し傾斜の強い「湯坂」を通ります。山間地の温泉地ならどこでもあるような何気ない坂なのですが、実は、この坂が鹿教湯温泉の歴史の成り立ちに大きく影響していると伝えられています。

     

    鹿教湯温泉は、脳卒中や脳梗塞後の機能回復に効果があると、江戸時代から有名でした。鹿教湯へ来るときは杖をついてきても、帰るころには杖を忘れて帰る人が多くいたと伝えられています。

     

    江戸時代から大正の初期ごろまで、鹿教湯温泉の旅館は7軒のみで、「湯端通り」とよばれる文殊堂・薬師堂へ向かう参道に沿って立ちならんでいました。この一帯は現在に至るまで鹿教湯の中心街となっています。

     

    励まし合う湯治客の姿

    当時、各旅館内に温泉がなかったため、入浴をするには200メートルほどの急な坂をくだり、そこにある共同浴場を利用するしかありませんでした。

     

    朝夕の入浴時間には多くの湯治客がお互いに励ましあいながら、杖をつき、あえぎあえぎこの坂を上る姿が見られました。中には歩くこともままならず、這うようにして坂を登る湯治客もいたそうです。どんなに身体の悪い人でもこの坂を通らないと共同浴場へ行けないため、朝夕の入浴時間のラッシュは壮観であったと伝えられています。

     

    そのためこの坂は、戦前、帝国陸軍西大将により「中気坂」(現在は湯坂)と名付けられました。当時、脳血管疾患で身体が不自由になった状態が「中気」と呼ばれていたことに由来しています。

     

    現在のようなリハビリテーションの施設がなかった当時、坂を登り降りすることが脳卒中などで倒れた患者の機能回復の訓練に自然となっただろうし、坂を無事に登れたということが療養患者の健康に対する自信にもつながり、回復の励みとなったことと想像できます。

     

    温泉と坂道のリハビリが回復の秘訣?

    現在こそ病院での施設も整い、機能回復のための適切な訓練もされていますが、リハビリテーションの技術が発達していなかった当時、なかば強制的な坂の登り降りは自然のもたらしたリハビリテーションともいえます。鹿教湯の湯は脳卒中に効くと全国に名高かった秘密は、その泉質はもとより、坂道によるリハビリテーションによる効果だったと推察されます。

     

    この坂道によるリハビリテーションは、1956年(昭和31年)に温泉掘削に成功して大量のお湯が噴出し、各旅館の中に温泉浴槽ができるまで続きました。

     

  • 【新レストラン連載コラム⑩】建築素材も信州産

    2024/02/11

     

    「Restaurant渓」にまつわるコラム、第10回目は建物に使った木材について、お話しします。

     

    建築木材も地産地消で

    信州素材にこだわった「Restaurant渓」では、その骨格となる建築木材にも地産地消として信州産カラマツの集成材を使っています。

     

    カラマツは信州を代表する木材で戦後に多く植林され、春は鮮烈な緑、秋には黄色に彩られ、鹿教湯の里山を彩る木となっています。

     

    Restaurant渓に座って天井をみると、屋根の勾配にそって赤茶色の建築木材がむき出しになって平行に並んでいます。あえてむき出しにすることで、空間デザインの重要な要素となりました。

     

    木材の地産地消のメリットは、まず運搬距離が短いことが挙げられます。木材の運搬にはトラックが不可欠なので、移動距離が短いほどトラックの燃料も排気ガスも少なくて済みます。

     

    そして一番重要なのは、温室効果ガスである二酸化炭素を木に留めたまま地域の中で循環させられる点です。木は二酸化炭素を固定する役割があります。地域の中で木材として使うことで、二酸化炭素を大気中に放出させずに活用できるというわけです。

     

     

    今も昔も山林の管理は重要な仕事

    このあたりの山林の多くは、もともとは天領でした。明治時代以降は「財産区」とよばれる法人格を有した地域団体を通じて管理されていて、この地域にも「西内財産区」とよばれる山林を管理する団体があります。現在は12~3人で、チェーンソーで細い雑木を切るといった手入れを自ら行い、カラマツ林を管理しています。

     

    私は2023年から2年間、その管理長という立場をいただいて、代々うけついできた山林を管理するメンバーのひとりとして活動しています。管理する山林の所在や状況を把握するために、年に数回、「山見」といわれる仕事で山を登りながら先輩に「どこに何が植わっているのか」をはじめ、いろいろなことを教えてもらっています。

     

    石油が入ってくるまでの長い時代、日本は木に頼る暮らしをしていました。建材や道具はもちろん、一番需要が大きかったのは燃料です。伐り過ぎて山に木がなくなるほどだったので、山林の管理はとても重要な仕事だったのです。

     

     

    見直される国産材

    現在、日本で建築用として使われている木材の約半分は安価な外国産です。以前であれば、切り出しても単価が安く経費に見合わなかったものが、このところの円安等や木材価格の値上がりによって、収益が見込まれる事業となってきています。

     

    鹿教湯財産区に植えられている木のほとんどは30~50年ほど前に植林されたカラマツで、その一部を森林組合に依頼して切り出してもらい、木材として販売して次の世代のために新たに植林するという事業をしているところです。

     

    切り出されたカラマツの多くは集成材として加工されて、建築用の資材となります。カラマツ集成材で日本トップクラスのメーカーである「斎藤木材工業」さんがこの地域にあります。(偶然におなじ斎藤ですが、縁戚関係はありません)

    斎藤木材工業

    今回Restaurant渓で使用した構造材は、この斎藤木材工業さんが信州産カラマツから作った「信州唐松丸」という集成材を使用しています。もしかしたら、鹿教湯のカラマツも入っているかもしれません。

     

    二酸化炭素を削減し環境負荷を最小限にするという意味でも、地元の木材を使うことは理に適っていて、今後も可能なかぎり地元産の木材の利用を心がけたいと思います。